おとうさんが、草刈りとシシよけに山羊を飼いたいと言った。
現代農業の譲ります記事の方に紹介していただいた愛知県の山羊飼いさんのお宅に、主人と二人で子山羊二匹を迎えに行った。おとうさんは、増やしたいので、オスメスが良いと言う。
増やしたいので、血縁のない子をとお願いしたが、着いたら「どの子がいいですか?」と自分達で選ぶのでした。コンクリートの水槽のような場所にオガクズを入れた小屋で、20~30匹の子山羊が走り回っていた。素人目で、血縁のなさそうな模様を選んだ。

武蔵は茶髪のイケメン、ネネは牛柄の美人。ネネの方が少し大きく、臆病な武蔵はネネの後にペッタリ貼り付いていた。

子山羊は、着いたその日に、一瞬で小屋の仕切りを越えた。当たり前である。50センチ…ニワトリでも越えそう~。仕方ないので、当日は、連れて帰ったワンコケージで過ごし、次の日におとうさんは突貫工事、無事に頑丈なハウス型の小屋が出来た。

おとうさんは、掃除をしない。毎・日曜日に、私達が通い、小屋の掃除と放牧をした。あんまりなので、平日、私だけで掃除に伺うと、迷惑そうな顔で、しょうがない…武蔵とネネには我慢してもらった。当然ながら、臭い。お隣さんは、窓を開けられない…。

放牧はたまにしていたようだ。おとなりさんも、可愛い子山羊のうちは「食べてもいいよ。」などと言っていたが、大きくなって、庭の花や、畑の作物を食べてしまい、見張っていないと放牧出来なくなり、放牧まで日曜日だけになった…。

私が、杭を買ってきて、物凄く重い金槌の化けもんで、日曜日毎に三本、杭を打ち込んだ。三回9本打ち込んだら、おとうさんも柵を作る気になった。3人で作ったら、急にスピードアップして、200坪程の運動場が2日程で出来た。良かった良かった!これで自由に草を食べられるね!…しかし、次の日曜日に来たら、柵内の草が全くなくなっていた。重機で掘り起こして聖地したようだ。私と主人は非常なるショック。おとうさんいわく、「またすぐにはえるさ。」

武蔵の頭突きは酷くなり、自分のエサを食べてネネの分も食べてしまう。おとうさんは、農協から安い牛用濃厚飼料を買い、朝晩1人2カップずつやっていた。

週に一度の放牧ではストレスかなりなもので、小屋の屋根を破壊して欠片を食べたりしていた。ネネへの頭突きもひどく、よく叫んでいたようだ。ついに、おとうさんがエサやりの時、背後から太ももに角をかけ捻る…「イタタタタタ!」放牧している時も、おとうさんを狙う。隙を見て、静かに近寄り「イタタタタタ…

そんなある日、子供が生まれた。おとうさんは、電話を主人にかけて何処かへズラかった!私が、急いでかけつけ、スノコに足をはさみ震えていた赤ん坊を救出、タオルでふいてダッコして呆然、武蔵とネネは草を食べに行ってしまった。

「私が、この子育てなあかんのかなあ~」とツッ立ってたら、ネネが帰って来た。私が、泣きそうな声で「ネネちゃん、この子…」と言うと、ハッと思い出したように、「クククク…」と赤ん坊を呼んだ。そっと側におくと、ヨレヨレだった赤ん坊がお乳を飲み、急にシャキッとしっかり立つようになった。良かった~私は脱力。ネネは、スパルタ母ちゃんで、生まれたばかりの赤ん坊を、斜面の上へ上へと誘う。懸命に着いていく赤ん坊。

おとうさんは、さすがに武蔵と親子同居は無理だと考え、突貫工事で小屋の延長、親子部屋を作った。


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おとうさんが造る小屋は、非常に頑丈な金網で囲ってあり、床はコンクリートである。その上に、私が杉の野地板で作ったスノコを敷き詰めていた。
仕切りも金網、武蔵がスノコをひっくり返すので、スノコを押さえる直径7~8センチのタンカンパイプで押さえていた。


バカみたいに丈夫である。熊でも飼えそう…そして、この丈夫さが、武蔵の命取りになった。
直接の原因は、発情した武蔵がオチンを金網で切ってしまったことだった。そして、タンカンパイプの上に尻もちをつき、腫れあがった。これはタマラナイ!可哀想に、それでも3日もほおっておかれた。
「変な声でなきよんねん。」とやっと電話してきたおとうさん。電話帳でカタッパシから獣医さんをあたる。諦めかけて、十何番目かにかけた病院で、「ああ、すぐに伺いますわ~」と言われた時には、神さまがいたあ~!とオーバーではなく思った。

即、緊急手術。尿路結石ならば、カテーテルで普通はどうにかなるところだが、尻もちでガシガシに硬く腫れていて、入らない。尿管をチョンギリ、もうすぐ膀胱という直前で、やっと出た!
…この後も、さらに2回手術、結局は、膀胱直垂れ流しになった。痒がるので、毎日、武蔵のお腹をシャワーで洗った。

一年間、生きたけれど、2才で死んだ。





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子山羊の頃、こんなに可愛い。
オスとメスは、ペアで飼わないでください。